授業をつくるTV

このブログでは,youtube「授業をつくるTV」と連動して,子どもと教師,子ども同士のやり取りから,授業の姿やそれを作り出す教師の思いを考えていきます。

【本】アメリカの教室に入ってみた

考えさせられたことがたくさんありました…

 

本の紹介を書くのはとても難しいです。とても時間がかかります。

自分の経験と結び付けて考えていくと,頭の中がごちゃごちゃしてきます。今まで,当たり前だと思っていたことが突き動かされていくからです。

自分が持っていた概念と「全く違うもの」だと,読んでいてもなかなか頭の中に入ってきません。本の内容は,今まで持っていた概念の中で「なんかおかしいな」と漠然と思っていたことと結び付いていきます。

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自分の経験 …

とてもいい子なのに,成績はよくない,「自分は頭が悪いから…」と自信をなくしている子。

とてもいい子なのに,落ち着かない行動が多く,注意され,「自分はいつもおこられる悪い子だ」と自分を責めている子。

学習することで自信をなくし,友達と共に生活を送る中で「自分はできない…」と,自分自身に違和感を感じていく子どもたちをたくさん見てきました。とてもいい子なのに…素晴らしいところはたくさんあるのに…自分に自信を与える場の学校が,自信を失う場になっていく。

さらに,そのような気になる子だけでなく,「自分に自信がない」と答える子どもが年々多くなっているように感じます。

周りと自分を過剰に比べる子どもたち…

自分の成長だけを見つめることはできないのかなあ…友達の少しの成長に目を向けることはできないのかなあと…そんなことを考えた時期がありました。

結果,それは大人同士でも難しいときがあるなあ…けれど,子どもに言葉で伝え続けることはできるかな…と思いながら過ごしてきました。

 

本書は,私のその違和感にグッと突き刺さってきました…

インクルーシブ教育の異なる形。

…インクルーシブ教育とは,「すべての子どもをふくみ込む教育」と翻訳されます。障害のある子どもや,外国籍の子どもなど,学校教育から排除されがちな子どもたちが排除されない教育のことを指します。

 筆者は,日米のインクルーシブ教育に優劣をつけたいわけではなく,両者にある本質的な違いが何か知りたいと述べた上で,アメリカのシラキュース市にある私立のインクルーシブ教育と日本のインクルーシブ教育を比較しています。

 シラキュース:「違いを尊重・個人主義」のインクルーシブ教育

【違いを尊重】

…生物学的・文化的に違いがあるため,障害も含めて違いを当たり前と受け入れる姿勢があります。

【個人主義】

…つながりを(それほど)重視しません。

私が日本との違いを感じたエピソードに以下のものがあります。

…お友達が授業の輪から外れて「勝手」な行動をしたとき,その子にかかわることは奨励されませんでした。(「戻りや」などど言ってかかわろうとするなど)。「まずは自分のことをしっかりすること」が大事なのです。

…友達同士をつなげるようなかかわりを,日本ほどは,重視されていませんでした。もちろん,先生方がまったくつながりを重視していないわけではありません。子どもたちが自然な文脈で,他者を知り,気づいていくことを重視しているのだと思います。意図的に(もしくは無理に)子ども同士をつなげようとしないのです。この根底には,個々を尊重するという価値観があるのでしょう。

たしかに,日本では友達同士を意図的につなげようとする声掛けが多いと感じました。そのかかわりから,何かお互いの成長を期待するからだと思います。

 日本:「同じ・つながり」を重視するインクルーシブ教育

【同じ】

…日本は生物学的・文化的に大きな違いはなく,保育・教育の中でも様々な水準で「同じ」が強調されます。

…日本の場合,多様性とは言いつつも最終的には,「一緒・一斉」という「同じ」を象徴する枠組みの中で保育・教育が行われます。

【つながり】

…日本では,「障害のある子とない子がともに学ぶ」と言うとき,「ともに」の中に何らかの相互作用を想定します。障害のない子どもと障害のある子どもが,かかわる中でお互いに成長するというのは,多くの実践記録でも報告されています。

…しかし,…「まず自分のことをしっかりとする」を前提としたうえでの「つながり」と,友達との仲を優先する「つながり」とでは意味が異なります。日本の場合,ややもすると,とにかく一緒の場にいるだけではダメで,かかわりあいながらでないと「よい」インクルーシブ教育とは言えないという雰囲気があります。下手をすると「つながり過剰」インクルーシブ教育になります。

 

つまり,筆者は,日本のインクルーシブ教育はハードルが高く,発達障害の子どもには厳しいということを述べています。

 

…「違ってもいい」「過度につながらなくてもよい」ということであれば少々勉強のペースが違っても,また遊び方が違っても,少なくともその場にはいやすくなるでしょう。しかし,過度に「同じ」「つながり」を求められる授業であれば,彼らの居場所を教室に確保することは,厳しくなります。このように「同じ」「つながり」を求めれば求めるほど,障害のある子どもを追いつめていく傾向があります。

 

たしかに,私が感じていたように,授業や学校生活において,「同じ」「つながり」を求めるあまり,「気になる子」たちを追いつめていく傾向があるように思います。しかし,そのような気になる子たちが安心して,または自信を損なうことなく過ごすことができる教育とは,どのようなものなのでしょうか。

 

筆者は,日本のインクルーシブ教育の「かかわり」の中にも,良さがあることを認めた上で,「かかわり」と「違いの尊重」という価値を組み合わせた新しいインクルーシブ教育を行っている学校,シラキュース市にある小さな私立学校「The New School」を紹介しています。

 The New School

 The New Schoolでは,流動的異年齢教育が行われています。

幼稚園の年長から中学生までが学んでいますが,親すら子どもの学年を意識していません。学級の概念がなく活動や子どもの関心に応じてグループが作られています。

毎週,月曜日に個別の週間学習計画表を配られます。時間によって,1人,異年齢,同年齢など学びの形態が変わります。

そして,流動的異年齢教育を可能にするものとして,「個別化・協同化・プロジェクト化」された学びの学習形態が行われています。

個別化

・子どもそれぞれの特徴に応じて指導する。

・子どもの理解に応じて、子どもの内から学習内容が決定される。

・徹底的に「個」を重視。異年齢ありきの異年齢教育ではない。

 協同化

・1日中全員で学ぶわけではない。

・学習内容に応じて適した人数や集団の質が柔軟に設定。

・1日の中でも学習内容に応じて学習集団の人数や質が多彩に変化する。

プロジェクト化

・ある設定されたテーマに対して、調べ学習を中心にテーマを深めていくような学び。

 

この「個別化・協同化・プロジェクト化」について,本書でも紹介されていますが,「オランダのイエナ・プラン」の本で読んだことを覚えています。この3つの概念が,今,取り上げられることが多くなってきています。この概念について,その背景や実践まで,もっと詳しく知りたいと思うになってきました。

そして,この3つの中で,日本との教育に違いを感じ,一番感銘を受けた部分は,教育の「個別化」です。まず,「個」ありき,徹底的に「個」を重視している点です。協同についても,まず「個」があって緩やかに結びついていく,そのような学びのイメージです。

本書には,流動的異年齢教育の様子について,筆者の娘さんの入学のエピソードも含め,詳しく書かれています。ここにはすべては書けませんので,興味がある方はぜひ読んでほしいと思います。

 私が求めていた姿が…

筆者は,流動的異年齢教育の意義を次のよう述べています。

・自己肯定感が高くなる。正確には自己肯定感が低くならない。

・他者との比較が難しいため,自分の中での評価(過去と現在)に目が向くようになる。他者と同じ基準で比較できないカリキュラムが子どもを他者比較の呪縛から自由にし,自分を大事にしていくことにつながる。

・障害のある子の学び。その子のできるから出発する。できないが目立ちにくい。

・楽ちんな雰囲気,ほっとする。平均に比べて遅れている,進んでいるの感覚がない。学びのシステムとして他者と比較しなくなる。他者との比較がなくなると,のびのびと自分を表現し始める。

はっとさせられました…

これらは,私が求めていた姿。他者と比較することなく,自分の成長を見つめることにつながります。

 

このような教育の根底の考えとなるエピソードが本に載っています。

…古参の先生に,なぜこのようなユニークな学びのシステムをつくったのかを尋ねてみました。すると,「どの子もバカって思われたくないよね。それを突き詰めたらこんな形の学校になったの」と答えてくれました。…インクルーシブ教育や異年齢教育が,先に「よきもの」「正しきもの」としてあるのではなく,一人ひとりのプライドを尊重することが最初にあったのです。

この文章にガツンと来ました。

「今,自分自身は何ができるのだろう」と考えます…

日本でも教育が変わろうとしています。これらの考えを受けて,新しい形の学校を作ろうという動きが出てきています。

しかし,自分の学校の形態は大きく変わることはありません。

でも,違和感のもととなるものや,たくさんの実践を知ることで,「何かできることはあるのでは」と考えることはできるような気がします。

 

きっと,GW明けから,気になる子への接し方も変わるような気がするのです。

 

アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで

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